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阿部哲也さん(スローライフ編)


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印刷ページ表示 更新日:2016年8月1日更新

阿部哲也さん(スローライフ編)

阿部哲也さんご夫妻

移住者データ
氏名 阿部哲也
年齢 75歳
家族構成 家族構成:3人
(本人、妻、息子)
前居住地 東京都
(出身地:西川町)
移住前の職業 自営業(飲食店)
移住年 2013年4月
現居住地 西川町睦合

移住までの経緯・概要

山形県西川町出身。西川町睦合在住。東京では、奥さんの夢であった飲食店(居酒屋)を経営。地元西川町の山菜料理やお酒などを提供し、町産食材のPRに貢献。飲食店閉店後は、夫婦で長年夢見ていた田舎暮らしを実現するため、哲矢さんのふるさと山形県西川町に2013年4月移住(Uターン)。東京在住時には山形県人東京連合会江東区会長も務め、現在も首都圏在住の郷土出身者と西川町を繋ぐパイプ役を担っている。

移住のきっかけ

農作業をする阿部哲也さんの奥様

田舎暮らしは私たちの長年の夢であり、結婚する当時から「将来は田舎で生活する」と決めていました。本格的に田舎への移住を検討し始めた当初は、長野県が第一候補でしたが、様々な面で折り合わず、妻の実家がある栃木県矢板市を候補として考えていました。そんな最中、2011年3月に東日本大震災が発生。妻の実家付近の山々は放射線量が高く、自分たちが思うような生活が送れないことから自分の故郷である山形への移住を決意しました。

西川町を選んだ理由

やはり東日本大震災を目の当たりにしたことが影響しています。妻の故郷は放射能の影響で断念せざるを得なかったですし、首都圏直下型の大地震も心配になりました。西川町が自分の故郷だということは大きいですが、自然も豊かですし、西川町ではこれまで大きな災害がほとんどないでしょ?それも魅力の一つですね。

移住の準備を進めるうえで、誰かに相談しましたか?

西川町のアドバイザー(総合政策審議会委員)をしている弟に相談しました。年1回は西川町へ帰郷していたものの、町のすべてを分かっていたわけではないので、弟に西川町を隅から隅まで案内してもらいました。何でも相談にのってもらえるサポート体制があると非常に心強いですね。

西川町の魅力は?

食卓でインタビューに答える阿部哲也さん

一番の魅力は、やはり四季の移り変わりです。春は新緑、夏は涼風、秋は紅葉、そして冬は一面に広がる白銀の世界。東京では決して見られない光景です。それと食べ物。山菜がとにかく大好きです。周りに山菜採りの名人がいるので、沢山の御裾分けをいただきますが、料理の経験を活かし、頂いたものは加工してお返しするようにしています。そのお返しを喜んでもらえたときは、嬉しいですよ。

現在の住まいは?

西川町では、一軒家(古民家)で家庭菜園をすることが私たちの夢でした。ただその夢は残念ながら叶わず、現在は集合住宅(コーポ睦合)に入居しています。しかし、近くに菜園も借りることが出来ましたし、地区の皆さんとは一緒に旅行に行ったり、お酒を楽しんだり、良い関係を築けています。自分が作った野菜で漬物などを作りたいのですが、集合住宅では保存する場所が限られるので、そういった点では不便ですね。

それから、現在の集合住宅は、以前から若者世帯だけが入居していたためか、一つの町内会としてのまとまりがないように感じます。住民同士の交流も少ないですし、そこは変えていく必要があると思います。今年、私が働きかけ、この集合住宅でビアガーデンをすることになりました。今からとても楽しみにしています。

これからやってみたいこと

私たちの若い頃に比べ、目に見えて山が荒れてきています。山菜が沢山採れたところも、今となっては手入れが行き届かず、草木が生い茂っている。そういった山々を何とかしたいとは思っていますが、年齢的に難しいのが現状です。

移住希望者へのメッセージ

やりたいことは一杯ありました。あと10年若ければ…と今となって思います。皆時間は限られているわけで、やはり決断力、行動力が重要だと思います。

また、何事もそうですが、やはり重要な事は人との繋がりです。全く知らない土地に移住するのであれば、人脈をつくる努力をしなければいけませんし、地域に溶け込む努力も必要です。

(2016年7月取材)