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氏名 | 鈴木真一郎 |
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年齢 | 42歳 |
職業 | 農業 |
家族構成 | 妻と子ども4人の6人家族 |
前居住地 | 神奈川県横浜市 |
移住前の職業 | 料理人 |
移住年 | 2002年 |
現居住地 | 西川町大井沢 |
大学時代、ワンダーフォーゲル部、フィールドワークを主な活動とする地域研究ゼミに所属。大学を卒業後、旅館などでの勤務を経て、2002年4月より月山ポレポレファームにて住み込みで半年間働く。その後、NPO法人エコプロのスタッフとして、約5年間山岳ガイドを経験。現在は、農業に従事。2004年結婚。
私が山に近いところで暮らしたいという夢を持つようになったのは、大学時代のこと。ワンダーフォーゲル部での活動を通して、東北の自然の豊かさに心惹かれ、「山小屋を経営する」という目標を掲げていました。そこで、大学を卒業後、まずは料理を身に付けるため旅館で働きました。しかし、3年経っても親方から認めてもらえませんでした。そんな時、大学時代の想いが蘇ってきたんです。東北地域独自の生活や文化を受け継ぎたい。フィールドワークを基に地域研究を進めていくというゼミに所属していたので、そのなかで“人と里山との関わり”に心惹かれていた自分を思い出しました。
その後、原点に戻るつもりで、大学の後輩のフィールドワークに参加。その調査対象が西川町でした。大井沢のオープンな雰囲気と、「東北の山の近くに住みたい」という夢を叶えてくれる北は月山、南は朝日連峰を臨む大井沢のロケーションに魅了され、西川町への移住を決意しました。後付けになりますが、「地域独自の生活や文化を受け継いでいきたい」という想いを形にできそうな場所が、大井沢だったのかもしれません。
西川町に移住後、山岳ガイドで生計を立て、結婚。4人の子どもにも恵まれました。でも、山岳ガイドの仕事は、家を空けてばかりで、このままでは家庭崩壊に成りかねず、何より「大井沢独自の生活や文化を受け継ぎたい」という思いが蔑ろになっていました。そんな時、地元の方からの紹介を受け、農業に出会いました。
自然の息吹を感じながら、土に触れ、体を動かす。これこそ人間本来の仕事だと思いましたね。
就農して間もない頃は、農業生産法人に勤めましたが、2年経たないうちに独立しました。要因の一つは、時間に制約され、山に行けなくなったこと。独立後もあまり行けませんが、農業に専念するため“山に行かない”という自分自身の気持ちの面で大きな違いがあります。
しかし、今思えば、組織勤めは制約される時間が限られていると言えるかもれません。日中の勤務が終われば、後は家族との時間になります。独立すれば、昼夜関係なく働くことも多く、家族と一緒に居る時間は増えたかもしれませんが、家族と団欒する時間は少なくなったと言えるかもしれませんね。
やっと見えてきました!昨年まではナスを柱にした農業をしていましたが、ナスの適地である別集落へ片道30分かけて通っていたんです。その頃は山岳ガイドも続けていたので、さすがに体に無理があったんでしょうね。椎間板ヘルニアで入院し、営農スタイルを見直すことになりました。
今は、春はスノーボール、夏から秋には枝豆、南瓜、ブロッコリー、そして冬には啓翁桜を出荷し、通年農業が出来るよう準備を進めています。西川町は県内でも有数の豪雪地帯ですが、このような環境でも通年農業が可能です。将来的には、自分が経験してきたことを西川町の就農モデルとしてIターン者へ情報提供していきたいですね。
結婚するまでは、自分のしたいようにしていました。大変なのは、家庭を持ってから。地域や学校とのかかわりが増え、拘束される時間も増えました。そんな時、近くに頼る親族が居れば、自分が家を空けても、家の事は任せられるんでしょうけど…。所帯持ち移住者の辛いところは、頼る親族が近くに居ないこと。組織勤めであれば、家庭の事情もある程度配慮してもらえますが、独立すればそうはいきません。就農したい方は、自分の世帯構成によって就農スタイルをよく考えるべきだと思います。
私のわがままなのかもしれないですけど、自分にとって大井沢に居なければ、西川町、山形県そして東北地方に居る意味がないんです。大井沢の景色や空気感、文化など大井沢のすべてに魅了されました。「大井沢の生活や文化を受け継いでいきたい」という想いがすべてです。よくあんな山奥で生活しているな…と言われますが、そういったことに反抗したい!という想いもあるのかもしれないですね。
私の目標は「食べ物を作る・使う(調理して食べる)・作る過程を伝える(農業体験)」これらを一つの事業体として取り組むこと。そして、登山やスキーなどを絡めて西川町の自然や、ここで生きる心地良さを体験してほしいと思っています。そのためにも、まずは質の良い農産物を作ることが今の目標ですね。
(2016年10月取材)