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西川町は、昭和29年10月1日に、西山村・川土居村・本道寺村・大井沢村が合併し、おかげさまで70年を迎えました。
これを記念して、11月3日、西川交流センターあいべにて70周年記念式典を挙行しました。
(冒頭省略)
ここまで地域を、森を、田畑を、伝統を、安心を守り、西川のファンや子供たちを大切にしていただいた皆さん、ありがとうございました。
特に、これまで西川町のかじ取りをされた町三役の皆さんにお礼を申し上げます。
これらのご英断により、わが町は各世代にわたり手厚い行政サービスを提供可能となりました。
しかし、町を取り巻く環境は、近年の少子高齢化・人口減少に伴う、店舗の撤退・閉店、集落機能の衰退が進み、地球温暖化による自然災害の多発など厳しい状況が続いております。
こうした中で、西川の魅力は、自然と人の魅力です。「もう高齢だよ。」と仰るかもしれませんが、もう少し、先が見えるまで、町民の皆さんにおかれましては、お力を借りて、わが町を守っていただきたい。この地域の温かさ、人の温かさ・寛容性こそが、地方創生には重要です。民間会社の調査結果によれば、沖縄のような寛容な地域は人口が増える結果が出ています。都道府県のランキングをみると、残念ながら山形県の寛容性や人口減少率も下から4、5番目。しかし、私は、西川町はそうではないと考えています。月山、朝日連峰の大自然に抱かれる西川町に住む我々は、はるか昔から自然と共生し、出羽三山の参客や山伏をもてなしてきたことから、 大らかで温かみのある人たちが暮らしを営んできた。と私は自負しています。
寛容性を高めるには、女性の生き方への理解、若者への信頼、障がい者等へのやさしさなどが求められます。このため、寛容性の高い地域をつくるには、地域を超えて、世代を超えて、町内外に関わらず、ごちゃまぜ対話・交流を反復させ、それぞれの「やりたいこと」を応援し、助け合い、後ろ指をさすことない、温かい地域を創っていく必要があります。交流を促すために、あいべ、トラスのような交流の場をつくり、ミニデー・いきいきお茶のみ会などごちゃまぜする機会の創出には、これからも惜しげもなく予算を投資してまいります。
また、こどもたちにも投資を続けていきたい。こう思った契機は、今から35年程前。私が小学生のころでした。野球のスポーツ少年団に所属していた私は、西村郡内で最も少ない野球チームでした。わがチーム2倍以上の選手層の厚い近隣のチームは西川との対戦を喜びました。私も気持ちで負けていました。
私は、西川は人が少ないから、中山間地域だからと、私が当時感じた劣等感を、今西川で過ごす子供たちに感じさせたくない。うらやましがられるような西川を創っていきたい。この反骨精神は、歳月を経ても薄れることはなく、これが、私が頑張れる!エネルギーの源泉です!
しかし、昨年末、25年後には、わが町の人口がさらに半減してしまう調査結果が発表されました。ゆらぎかけたその想いを払拭してくれたのが、西川中・男子バレー部の全国中学バレー大会の出場でした。中学生に「あきらめるな」と背中を押されたようでした。こんなこどもたちを大切にしてまいります。
これから10年、未来に向かって大きな投資ができるのは、諸先輩方が大きな課題を解決頂き、安心安全の基礎ができ、効率的で健全な財政な行政運営を行ってきた賜物です。
町民の皆さんの地域のため、町のため、子供たちのため、何かしようという意欲に加え、寛容性が町外の人々・観光客をひきつけ、西川ファンとなり、移住者を増やした結果、令和5年は、人口の社会減を止めることができました。今後とも、皆さんのお力をお借りして、ごちゃまぜ交流を促進し、寛容な地域となるような政策を打ち出してまいります。
行政は、愚直に対話を通じてお悩み事・やりたいことを把握する。そして、役場内では、できない理由を探すのではなく、できるための議論を行える組織を改革し人財を育成し、現在の第七次西川町総合計画の終了する令和12年度までには、町長就任時のほぼ2倍の100億円の予算をもって、きたるべき少子高齢化の大波を乗り越え、15歳~65歳までの生産年齢人口の増加を実現してまいります。
そして、高齢者には、安心安全を提供し、西川に住んでよかったと思われ、また、子供たちには、「ぼくは、私は西川っ子だ」と胸を張っていえるような、町にしていきたい。
当然、これらは行政だけでは成しえません。ボランティアを募集すると、すぐに100人は集まる、このような一体感がわが町の魅力です。西川、西村山地域を今ある美しい形で残すため、町民の皆さん、ご来賓の皆さんには、一層のご支援とご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
(以下省略)
令和6年11月3日 西川町長 菅野大志
この一面広告は、菅野町長が自らデザインし、ごちゃまぜ、笑顔、かせぐをテーマに制作しました。
西川町民、西川ファンの笑顔をぜひご覧ください!
(令和6年10月17日 山形新聞第4面掲載)